紫月のじぶん教室

自分で自分を開発していく自己啓発のブログです。作家になることを目標に体験記を書いています。

「怖いけど、作品の講評は、気づきの宝庫!」じぶん作家養成教室【校正編】

おはようございます。紫月です。

先日、私が書き上げた短編小説を、主人に一度読んでもらいました。

今日は、初めて書いた作品を、初めて自分以外の人に読んでもらい、講評してもらったときのことをお話しします。

 

≪目次≫

 

感想1 「40分かかった」

文字数18,385文字、原稿用紙で46枚分、40字×40行のWord文書で18ページ。

それくらいの分量を、40分かけて、読んでくれました。

 

間、休憩があったのかもしれませんが、まず、驚いたのが、

え?そんな時間かかる?短編のつもりだったけど、結構ボリューミー?

という率直な疑問でした。

 

自分では、15分くらいで読めるものを作っていたつもりなのですが、自分で書いていると、途中で直したくなったり、内容が分かっているため、読み飛ばしてしまったりして、大体の読了時間もなかなかわかりにくいなと思っていました。

それが、他の人に読んでもらうと40分…

普段から読書をしていない、読みなれていない人とは言え、そんなにかかるのか。

40分も時間を割いてくれたのに、この作品に、その時間を使うだけの価値はあっただろうか。そんなことが頭をよぎりました。

 

どんな作品と言えど、読者は、貴重な時間を使って読んでくださる。

作家は、その時間が、無駄だったなぁと思われないような、作品を作る務めがある

ことを感じました。

 

作品を読んで、どう感じるかは、読者によって様々なので、全ての読者を満足させることは難しいと思いますが、

貴重な時間を割いてくれる読者に対して、自分が今できる、最高のものを作り上げようとする姿勢は、読者に対する、作家の最低限の礼儀なのではないか

と、人に読んでもらうという行為を通して初めて、我がこととして、心に刻まれました。

 

今回の作品も、決して、軽い気持ちで書いたものではありませんでしたが、練習練習♪という気持ちで気軽に書いているところはありました。

まぁ、初めから完璧を求めていくと、まず、書き上げる、ということが難しくなると思うので、なんでもいいから書いてみるということが、初めのうちは大切だと思います。ですが、その中でも、設定や構成をきちんと考えてから書く、という基本的な姿勢は大切にしながら、書いていきたいと思いました。

 

これまでは、書きたいシチュエーションを列挙して、それを短編で書いていくと、大きな流れのある長編のような作品群ができるという風に書いていました。

ですが、先日紹介した鈴木輝一郎さんの参考書では、

作家になるには、長編作品を書けなくてはならない

とあり、どうせ、長編的なものになっていく予定なのならば、初めから長編を書くつもりで、準備し、構成も練った方がよいのではないか、という気がしてきました。

 

そして、短編の分量や、定義がよくわかっていないのですが、もう少しサラッと読めるものを、書きたいシチュエーションの中からピックアップして、一話完結の、簡単ストーリーとして書こうかなという思いに駆られました。

 

長編の中に組み込むのは、難しそうだけれど、番外編として、先に短編を書いて練習を踏み、長編として書いたものを、投稿に出す。

まずは、ケータイ小説のように、気楽に読めるボリュームのものを作っていこうかなという気持ちになりました。

 

「40分かかった」

そう言われただけで、ここまで気づきが得られて、新たな方向性が見えたのは、とても嬉しかったです。たとえ、読んだあとにもらえた言葉がこれだけだったとしても、読んでもらってよかったと思えたと思います。

 

感想2 「漢字が読めない、専門用語の意味が分からない」

第1稿の校正時に、自分で振り返って読んでみて、読めなかった漢字には、ルビをふりました。でも、読めなかった漢字が沢山あったそうです。

 

どれかの参考書に、新人賞に応募するときは、読む人はプロだから、あまりふりがなを振りすぎると失礼になる、ということが書いてありました。

そう思って、極力ふりがなを振らないで書いてみたのですが、一般人には読めない漢字が多いのかもしれない、そんなことに気がつきました。

 

私も、小説を読んでいて、ちょいちょい分からない漢字が出てきて、モヤモヤすることがあります。

前後の状況から、言いたいことの雰囲気は分かって、こう読むのかな~と思うのですが、言葉の読みがはっきりしないと、スッキリしません。

折角、作家が選んで使っている言葉なのに、それが分からないのが、残念だなぁと思っていました。かといって、わざわざ辞書を引いたりすることもないので、とりあえずは、これ、分からないかもと一瞬でも思った漢字は、ルビを振っておこうと思いました。

 

そして、専門用語の単語が分からないという感想について。

この作品の中では、浴衣を着ている描写がありました。私自身が着付けをやっていて、そのときの思いを書き表したいという目的があったので、結構細かく着付けの描写を入れたのですが、それが、ちんぷんかんぷんだったみたいです。

 

自分の中では、これくらい常識だろうと思っていることでも、読む人によっては、専門用語ととらえられてしまうことがある

というのを実際に目の当たりにすることができ、読んでもらってよかったと思いました。

 

どういった読者を想定しているかによって、どのくらい丁寧に説明するのかは、変わってくる気がしますが、漢字の読みと同じように、これはちょっとわからないかも、と少しでも頭によぎったものは、丁寧に書き込もうと思いました。

 

漢字も、専門用語も、自分が手書きで書いたら、恐らくすぐに漢字変換できないであろう言葉が、パソコンで入力すると、すぐに自動変換されます。いくつか、漢字の種類が選べるような言葉は、雰囲気で使い分けるように選ぶこともできます。

それ自体は、ありがたくて、とても便利で助かるのですが、それに慣れすぎてしまうと、初めて読む読者に読めるのだろうか、分かるのだろうかという視点が欠けてしまうということに気がつきました。

簡単にできてしまう漢字変換ですが、エンターキーを押す前に躊躇するような漢字に出会ったときは、一度立ち止まって、読者目線で分かるかどうかを考えていこうと思いました。

 

感想3 「設定を聞いていたからわかるけど、何も知らずに読んだら分からないかも」

私は歴史が好きなので、今回の作品は、歴史上人物が、現代日本人として生きたらどうなるかという、パロディのような作品でした。

登場人物たちは、歴史上の人物を元にしているということを、あらかじめ知ったうえで、読んでもらっていたのですが、それを知らない人がいきなり読んだらどうだろうと言われました。

 

書籍だったら、タイトルや帯、ネット投稿だったら、事前の簡単な解説の中身に、そういうことを示せるのではないかと思います。今回は、そういうことを一切どこにも書いていなかったので、どうしたものかなぁと思いました。

 

事前に、企画書案を作って、そこにどういう話かは書いていたのですが、作品の中に基本設定が分かるように示した方がいいのかは、きちんと考えた方がよいなと思いました。

 

感想4 「これで何かの賞がとれるとは思えない」

この言葉は、正直、少しキツかったです。

処女作だから、そんなすごいものを書いているわけではないし、自信もありませんでしたが、書き終わって、達成感に満たされていると、どこか自信を持ってしまう自分がいたみたいです。

賞が取れるとも思っていないけれど、そんなにダメではないと思っている自分がいました。

その幻想を突き破ってくれる一言でした。

 

それを聞いて、冷静に思ったのは、本になる作品と、ならない作品の違いは何なのだろうか?ということです。

 

いつか、自分の作品を商業出版ベースで本にしたいと考えているので、

どうしたら、本になる作品になるのだろう?

と、疑問に思いました。

それを解決していけるかどうかが、作家になれるかどうかの境目な気がしました。

 

厳しい言葉のあとに言ってくれたのは、

「誤字脱字はあるけど、情景描写も書いてあるし、書けている感はある。自分よりは、上手だし、ネット投稿されているのはこんな感じだし、まるっきり下手というわけではない。でも、これが本になるとは思えない」

そんな感じでした。

 

ふ~む、小説として体をなしていないわけではないけれど、素人レベルには違いない、そういうことかなと。

読めない文章じゃないけれど、読んでいて楽しいわけでもない。。

 

日本語として書かれている、文法的には通じる文であるという、ある一定の最低限のレベルには達していたようなので、そこはまず、良かったと思いました。

ですが、人を楽しませたり、人の心を動かすにはどうしたらいいのだろう…。

これができるかどうかなのだな、どうすればいいの?と思いました。

 

そこで、話してくれたのが、私が趣味でやっていたフルートや、主人がしていた部活動の話でした。

習い事で長くやっていたり、部活動で時間をかけてトレーニングしていれば、他の人から見れば、うまいなぁとは思えるけれども、それはあくまで、一般人よりはうまいなあと言うレベルのこと。下手ではないけれど、プロには及ばないよね、アマチュアで上手いなと言うレベル。

プロと、アマチュアの差は何か。それは練磨の差なんじゃない?

 

そう言われ、確かにそうかも、と思いました。

練磨を積んでいないのに、プロみたいに人を喜ばせる作品はできないし、大して深く、何も考えずに書いた作品が、人に感動を与えることはできない。

 

プロに近づくには、他のアマチュアを圧倒するような本気さで、トレーニングし続け、やり抜いていく必要があるのだと気がつきました。

 

これは、他のどんなことでも一緒ですよね。

プロサッカー選手になるのも、プロの演奏家になるにも、どれくらい本気で、練習を積み重ねてこれたか。

多分、才能というのも少しは関係があって、本当にすごい人は、プロのトップに君臨する人なのでしょう。でも、それは一握り。しかも、紙一重の差。

 

そこに立てるかどうかはさておき、まずは、プロの仲間入りができるかどうかが、私にとっては先決だと思いました。

 

私がこれからやること

時間はかかっても、書いて書いて、少しずつ積み重ねを増やしていこうと思いました。

諦めなければ、いつかは、プロのレベルに達することができる。

そう信じて、まずは、下のことをやっていこうと思います。

 

  • これはやったら良さそう。そう思ったことは、とりあえず全部やってみる
  • 色んな先輩作家の話から、情報を得る
  • とにかく多くの作品を読んで、そこから何がよかったのか考え、分析する
  • 他の作品のいいなと思った点を、自分に取り入れ、吸収する
  • 書き上げる作品一つ一つに、できる限りの事前準備を行う
  • 毎日、作品でもブログでもいいから、文章を書く
  • 書いたものを誰かに読んでもらう。読んでもらえる環境に置く

 

今までと、やろうとしていることは、変わらないのですが、本気度はアップしたように思います。

まずは、新人賞を獲ることを目標に、少しずつ、ステップアップしていこうと思います。

 

ネット上で、作品を読みあって講評しあう場もあるみたいですね。

まだ、詳しく調べていませんが、いずれはそういうこともやってみようと思いました。

人に読んでもらうことで、たくさんの気づきが得られたので。

 

人に批評されるのは怖いし、挫けてしまいそうだし、自信を失って立ち直れなくなってしまいそうな気もしますが、読んでもらえないと分からないこともたくさんありました。

この怖さを乗り越えてこそ、真の作家に近づけるのではないかと思いました。

要は、全部、自分の心の持ちようですよね。

 

嫌だ、怖い、と思うことにも、プラスの意味を与えて、チャレンジできるようにしようと思いました。

 

shizuki2033.hatenablog.com

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