紫月のじぶん教室

自分で自分を開発していく自己啓発のブログです。作家になることを目標に体験記を書いています。

「育休期間を振り返る」じぶん私発見教室

産休を取り始めた約二年半前の写真から、順番に見てみた。

一番驚いたのは、上の娘が、今の下の息子と、同じような赤ちゃん顔をしていたということ。こんなにも、赤ちゃん赤ちゃんしていたのかと、ビックリした。

そして、やっぱり姉弟だから、顔も似ている…。喋り方も舌っ足らずで、当時も今も、なんだか生意気な感じは否めないけれど、昔の方は、当然幼くて、今見ると可愛い笑

 

娘しかいなかった生活が懐かしい。

そんなときもあったのだと、しみじみしてきた。

 

産休直後に、娘は臍ヘルニアの手術のため入院。

手術で弱ったからか、退院後、肺炎になって、暫く家で吸入をしたりしていたっけ。

おなかが大きくてあまり動けない私は、それでも、娘を飽きさせないように、紙の工作で遊んであげたり、お絵かきをしてあげたり、甲斐甲斐しくかまってあげていた。

そんな私の写真が残っていて、その様子もまた別人みたいで…。

 

あんなにおなかが大きかったのが自分だとは思えない。

あんな頃があったなんて、写真を見せられなければ、思い出しもできない。

そうやって、時は流れていくのだと、同じ自分は、もういないのだと、改めて実感した。

 

下の子が生まれた当時の写真を見ると、分娩室での大変な様子が思い出される。

娘よりは全然ましだったけれど、思い出すとやっぱり、何だか気持ち悪くなって、もう二度とゴメンという思いにさいなまれる。

だけれど、出産直後でも必死に動いて、乳を求めようとする息子の姿はいじらしくて、こんな風に生まれてきたのだと、自然に涙があふれた。

 

このあとからは、娘と息子が一緒に写っている写真が増えてきた。

あぁ、これが家族の幸せってやつかなと、他人行儀に見ながらも、改めて今、家族がいるありがたみを感じさせられた。

 

今まで、こんな風にゆっくりと昔の写真を見る機会もなかった。

あまりに日常生活に忙殺されていて、目の前のことで目いっぱいで、家族のありがたみも、家族が成長しているということも、遠い過去のように忘れていた。

 

もう、本当に別人だ。

 

息子に、こんなときがあったなんて。

こんな小さい赤ちゃんを、私が育てていたの?

自分で授乳して、抱っこして寝かせて、そんなことを私はしていたの?

 

信じられない。

 

そんなことをしている私は、私じゃないような気さえしてくる。

だけれど、赤ちゃんの息子は、本当に可愛くて、また産んでしまおうかな、と思わせてくれるくらいのインパクトを持ち合わせていた。

 

子供たちも、私も、主人も、祖父母も、みんな笑っていた。

写真がなければ、昔の姿ももう思い出せない。

写真と動画があってよかった。

 

何をどうお世話したのかも覚えていないし、どうやって遊んであげたのか、普段何をしていたのか、恐ろしくなるほど思い出せない。

 

娘のころと比べれば、格段に数は少ないけれど、少ない写真たちが、確かにそこに愛があって、幸せな日常を送っていたということを彷彿させてくれた。

 

昔は色んな所に出かけていた。祖父母もよく遊びにきてくれていた。

でも、私が育児ノイローゼになったころから、私はどこにも行く気が起きなくなったし、コロナでますますどこにもいかなくなった。

 

夜間授乳が1年2か月も続き、それと同じ期間、私は毎日真夜中に一度は起こされていた。

毎日連続して寝られるのが最大でも5時間。

いくらトータルで8時間寝たとしても、途中で起こされると、万全というわけにはいかない。

その日その日は何とかしのげたとしても、次第に私の体はおかしくなって、心をむしばむようになった。

 

1年3か月を過ぎたころから、私は急に怒りっぽくなり、たまりにたまった娘へのフラストレーションが爆発するようになった。

 

息子が生まれたときから、娘はイヤイヤ期の真っただ中で、赤ちゃん返りも始まり、私と娘は常に臨戦態勢というような関係になっていた。

それでも何とかやってこれていたのは、息子のお世話をしなくてはならないという母親の義務感があったから。

でもそれも、1年と少しで限界が来た。

 

ちょうど息子が歩けるようになって、少し手がかからなくなったという安心感もあったのだろう。1年の疲れが一気に襲ってきて、私は、そう、壊れた。

 

何もやる気が出なくなった。

家事もさぼりたかったけれど、さぼれば自分があとで面倒になるだけだからそれはしなかった。

 

さぼったのは、子供と関わるということ。

 

子供と遊ぶことが、できなくなった。

 

1歳半ごろになって授乳がなくなっても、そして、今になっても、子供とどう遊んでいいのか分からなくなってしまった。

楽しいと、思えなくなってしまった。

 

今は、その傾向は改善しつつあって、仕事も始まるから、むしろ、これからはしっかり子供と向き合う時間をとろうという風に思っている。でも、おかしくなる前だったら、そんなふうに意識することもなかったのではと思うと、切なくなる。

 

そう、私は別人になってしまった。

 

コントロールできない感情、どんどん自分じゃなくなるようなどうにもならない心が、怖かった。私が私でなくなるような感覚。今までに感じたことのない恐怖。

自己嫌悪と、自己無能力感の嵐。

 

それを乗り越えるために、一体何冊の本を読んできただろう。

どれくらい家族に罵声を浴びせ続けてきただろう。

どれだけ自分を責めて、泣いてきただろう。

 

家族が増えた喜びと、そこからきた苦しみと、人生の大きな波を感じた今回の育休だった。

 

最近は、回復傾向にあって、子供だけに全てを捧げるのではなくて、自分の人生にフォーカスをしようと思うようになった。

子供は子供で、自分は自分。

やっとそう思えるくらいの落ち着きを取り戻した。

 

新しい自分の夢と目標が定まって、これから生きる意味を掴めたのは、ノイローゼになるという挫折経験があったから。

 

最近は、その苦しさにばかり目が行って、その辛さが与えてくれた今に、感謝ばかりしていたけれど、今日、昔の写真を振り返って、気がついた。

 

幸せは、ずっと静かに、ただそこに、存在していたのだ、という事実に。

 

もう、見るからに幸せな家族が、いつもそこにあった。

 

精神的に辛くて写真にすら写っていない私だったけれど、子供たちはずっと笑っていた。

 

私は、いつもそこにあった幸せから目を背けていた。

今になってやっと、あの時も、確かに幸せだったのだと、思うことができた。

 

波乱万丈の今回の育休だったけれど、本当にいい時間を過ごせたと思う。

昔とは別人になってしまったし、私がなりたいとどこかで願っている献身的な母親にはなれていないけれど、私は、醜くて弱くてこのどうしようもない自分を受け入れて、新しく歩き出そうという気持ちを持つことができた。

 

いい所も悪い所も、丸ごと全部、私なんだ。

 

私という大切な体、家族というかけがえのないもの。

私における大切なものに気がつくことができた。

 

これからも、更にいろいろなことがあると思うけれど、私は大丈夫。

きっと全部うまくいく。

そんな気持ちを今、もつことができている。

 

今生きていることに感謝したい。

そして、私に与えられた全ての出来事に。

 

全ての人に好かれることはできないけれど、少なくとも私は、自分のことを一番に大切にしよう。

そして、目の前に現れた、私の関わる全ての人に、そのときできる最大限の努力で、しっかり向き合っていこう。

 

はぁ~、私、がんばったよ。

明日からもまた、一日一日を大切に、私は新しい自分に進化していく。