「自分の気持ちに素直に書く」小説執筆11週目 じぶん作家養成教室
こんにちは。紫月です。
4月ももう、半分を過ぎてしまいました。早すぎです……。
新年度の仕事は大分片付いてきたとはいえ、明日からの一週間が終わるともうゴールデンウイークだなんて……。時が過ぎるのって、ホント早いですね。
私の書く長編小説もいよいよ終盤になってきました。この一週間で、最後の章を書き始められるのではないかと、少しドキドキしています。
仕事も執筆活動も大詰めを迎えています。気候も温かい一週間になりそうなので、明るい気持ちでまた明日からも頑張りたいです!
≪目次≫
【今週やったこと】
今週の途中までは、昔に書いた短編を長編に組み込んで書き直すという作業を行っていました。ですが、書き直している途中にふと思ったんです。
このキャラ、こんな行動とらなくない?
このまま、このキャラを引き下がらせたら、このキャラに感情移入できなくない?
と。
こういう神のお告げみたいな、ふと浮かんできた考えって大事ですね!!
その引っかかりをスルーすることもできたのですが、落ち着いて考えてみると、確かにそんな気がしてきたんです。
で、私は今まで修正してきた原稿を没にして、書いていた章を一から書き始めることにしました!
【今週見えた課題】
1 読者から批判されるのが怖くて、閉じ込めていた思いがあった
読者を意識して書くといいと、小説の書き方本で良く言われていたので、私はどんな人を対象にして、どんな人に喜んでもらえるように書くのかを、気に留めながら書いていました。
確かに、対象者を広げ過ぎて書いてしまうと、一般的なありきたりなことしか書けなくなって、心に突き刺さってくれる人は減ってしまう気がします。
ですが、読者の反応を考えすぎると、嫌な思いをする人がいるんじゃないか、反論されたり、罵倒する人もいるかも……そんな不安がよぎってしまっていたんです。
あくまで私の場合ですが。
多分私は、多くの人に受け入れてもらいたいし、誰も傷つけたくないし、波風を立てたくないという思いが強いんだと思います。恐らくそれは、「自分は自分!」といつも明確にハッキリ思えるほどには、自己肯定感が成熟していないからで……。
だから、これまでは、無難なストーリー展開で書いているところがあった気がします。
これだったら、そんなに批判されずに済むだろうと、批判される恐怖から、心の底で思っている、こうなったらいいのにな、というのを封印していたことに、今週気がつきました。
2 常識にとらわれ過ぎていて、常識の範囲内で収めようとする思いがあった
無難な、ありがちな展開で話を書いていけば、落としどころはなんとなくわかります。
そういう感じで落ち着くだろう、そうなるのが普通だろう、そう思って、書き手は書きますし、読み手も読み進めます。
だから、今書く側にまわっている身としては、方向性が決まっているから安心して書けるんですよね。これならそう批判も受けるまいと。
でも、そんな常識的な話を書いていて思ったんです。
そんな常識的な話を書いていて面白いの?
良くある話を書くために、私は書いているの?
今の常識で苦しみを感じる部分があるから、それを伝えるために書きたいと思ったのではないの?
そんな問いが次々と心の中に浮かんできました。
そうなんですよね。この今の世の中に、すっごく満足しているのなら、私はわざわざ何かを書こうなんて思わない気がするんです。
もちろん、沢山満足していることはあって、その満足感を共有したいという思いも一方では持っているのですが、私が書きたいと思う根底にあるのは、
「こういう考え方を持ったら、もっと楽に生きられるんじゃない?」
「こういう作品があったら、もっと楽しいんじゃない?」
「こういう風に生きたら、もっと生き生きできるんじゃない?」
という思い。
日々の生活に対して鬱屈した思いがあるからこそ、とにかく何か書いて、伝えて、誰かと分かち合いたい、そう思うんだと思います。
そんな、自分の書きたい気持ちに素直になった今、私の作品は、ノーマルなルートから、アブノーマルなルートに舵を切りました。笑
そこで思ったことは……
常識から逸脱したことを書くのって、自分の世界でも、社会的にも一般的でないことだから、結末がどうなるのか、予想できない!ということ!!
だから、書くの難しいなぁと、率直に思いました。
とにかく、ハッピーエンドにはしたい。これは私の中では決まっている。
でも、こんな常識から逸脱したことをして、ハッピーエンドになりえるのか?
どうしたら、ハッピーエンドになるのか?
そんなことばかりが頭をぐるぐると回りました。
【これからやること】
1 他人の意見が怖くなったら「他人の視線が怖くって、作家なんかになれるか!」と言ってみる
今のこの時代の常識に反することをした場合、想定されるのは、その時代の常識的な対応。批判されたり、そんなのダメだと禁止されたり、場合によっては社会的な制裁を受けることもあるでしょう。
でも、私はその常識って本当にそんなに頑なに守るべきものなの?ということを色々と提示していけたらいいなと思っています。
だから、私の理想とする世界では、この世界の常識はずれなことをしても、それでもいいんじゃない!と受け止めてもらえる世界になっているんです。
そんな世界を書いてみたいと思っています。
だから、書いている本人も、そんなこと起こりえるのかと懐疑的だし、読み手は、そんなことダメだ、起こりっこないと思ってしまいがち。誰かから批判されるのは必定というものです。
批判されるのは怖いです。自分を全部否定された気がしちゃいます。こんな自分、生きてちゃいけない……。最悪、ここまで思い詰めてしまうことだってある気がするんです。
だから、批判されないために、批判を避けて無難に書くという方法を取ることもできます。
だけど、そんなありきたりなことを今さら書いて、何の意味があるのか。
自分が書きたいことは、本当にそんなことなのか。
そう思う自分もいるんです。
何かを書く人達っていうのは、ここはこうした方がもっと良くなるんじゃないかとか、こんな苦労をしてきたから他の人達にはこうなってほしくないとか、そういう熱い思いを持っている人たちが多いんじゃないかと思うんです。
そういう強い思いを、他人の視線に負けずに発信できたかどうか。
そこに違いがあるんだと思います。
皆と同じような意見を、皆と同じように言ったって、誰も注目なんかしませんよね。誰も思いもつきもしなかったことや、誰もが言いたくても言えなかったことを形にしたからこそ、皆がそうだそうだ!と注目して、それで世の中が変わっていくんです。
だとしたら、作家は、勇気を出して常識にはとらわれない思いを表明することこそが一番大事なんじゃないかと思います。
隠されていた多くの人の望みを露にして、良い世の中を作っていくのが作家の仕事。
そう思うと、他人の視線なんか気にしている場合じゃありませんよね。
誰もが気がついていないような新しい考えを提示するのが作家の仕事の一つなんですから!
だから、誰かからの意見も批判も、気にしている場合ではないですよね。
反応が出ることこそ、期待していることだし、ショックを受けることはあるでしょうが、何の感情の動きが生まれない無反応な作品を書いたところで、書いた意味はないんじゃないかと思います。
「他人の視線が怖くって、作家なんかになれるか!」
「人と同じことを言って、作家になる意味があるのか!」
周りの目線が怖くなったり、自分に自信を失ったりしたら、この言葉を自分に投げかけて、もう一度前に進んでみようと思います。
2 まずは、自分を一番喜ばせるものを書いてみる
誰かの反応を気にしなくてもいいと考えると、では、誰のために、何のために書いているのかという疑問が湧いてきます。
私は、
「こんなことがあったら楽しいだろうな~」
「こんなことがあったらいいのに~」
「こうなったら最高だな~」
みたいなテイストで、今の作品を書いています。絶対にこんな風にはなりえないだろうということは、なるべくなくして、こうなる可能性もある!みたいなフィクションを書いています。
結局は、書き始めた動機も、自分が楽しむためだし、書いたものを読んで一番喜ぶのも自分なんですよね。だって、他の人がどう思うかなんて、ある程度想像はできたとしても、本当にどう思うかは私には分かりませんし。
書いている私なら、こうなってほしいということを前面に押し出して、その思うとおりに書いているから、喜ぶのは当たり前。
結局は、自分を喜ばせることをしているだけなんですよね。
自分が楽しいことをして、もし、私と似たような人が喜んでくれればラッキー、そんな感じ。
だから、自分の本心と違うことなんて、書く必要はないし、自分の心に嘘をつくようなことをあえて書いても、何の意味もない気がしてきました。
自分を楽しませるために書いているのなら、自分の心に素直にならなきゃ。
そんなことを思いました。
【終わりに】
もうすぐ書き終わりそうだったものをやめて、方向転換して書き直すのは、すこ~し勇気がいりました。
ですが、予め読んでいた小説の書き方本のお陰で、ほんの少しの勇気で、書き直しをすることができました。どの本だか忘れてしまったのですが、プロットと違うことを書きたくなってきたら、それはキャラクターが動き出した証拠。そのまま、新しく浮かんだアイディアで書き進めていい。そんなことが書いてありました。
今回の書き直しの現象は、まさにそれなんだなと思いました。
キャラクターが動き出した!
そんな経験をすることができて、今とても嬉しくなっています。
キャラクターと共に、自分の気持ちに素直になろうと、自分の気持ちも新しい方向に動き始めた気がしています。
これからも、自分の頭の中に浮かんだ様々な声に耳を傾けて、自分が本当に望んでいることは何なのか、そのことをよく吟味しながら、何事にも取り組んでいきたいと思いました。
今日もありがとうございました!!