紫月のじぶん教室

自分で自分を開発していく自己啓発のブログです。作家になることを目標に体験記を書いています。

「夢分析と人間観察を創作に生かす」小説執筆15週目 じぶん作家養成教室

こんにちは。紫月です。

先週は、久しぶりの平日5日フル勤務。

やっぱり連続勤務ってなかなかハードです…水曜日が休みになって週休3日制になればいいのに、と最近良く思います。疲れてるんですかね…笑

 

でも、毎朝、しっかり校正に取り組め、溜まっていた仕事も少しずつ片付いてきたからか、今週は久しぶりに疲れより達成感が勝っていた気がします。

やるべきことがはかどると、人間の体はこんなにも軽くなるようにできているんですね。

 

校正も仕事もノッていたからでしょうか。

脳が活性化しているのか何なのか、先週は毎日明け方に夢を見ました。

それもどの夢も、創作に役立ちそうな、テンションが上がるものばかりで…。

 

最近、ストーリー性のある夢を見ることが増えたので、夢日記をつけはじめました。

夢を見るたびに記録して、夢辞典をひいていると、潜在意識からのメッセージが来ているようで、とても楽しいです。

 

毎日夢を見ているからか、周りの景色を意識的に見ていると、現実をふと夢のように錯覚してしまう時なんかもあります。

ちょっと頭がおかしくなった気もするんですが、そいういう不思議体験もまた貴重な気もするので、集中して何かに取り組まないぼおっとした時間も大切にしたいなと思ったりしています。

 

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自然に目に入る世界にこそ、発見がある。足元をよく見よう!

≪目次≫

  

【今週やったこと】

今週は、プリントした原稿上で校正をしたり、それをパソコンに打ち込んだりしていました。序章と第一章の打ち込みが終わり、第2章と第3章の紙面上の校正が終わり、校正にも慣れて来たかなと言う落ち着きを感じています。

 

校正作業が定着してきて思うのは、やっぱり、パソコン上では、深い校正ってできないなぁということ。

紙に打ち出して、赤ペンで書きこんでいると、これまで浮かんでこなかったアイディアがどんどん出てきたりするから、びっくりです。

 

今まで書いてきたのは何だったんだろう…。

直してもまだまだなんですが、それ以上に薄っぺらかったなぁと自分でも思います。

 

やっぱり、校正しなくちゃいい作品はできないですね。

時間はかかっていますが、そのとき思いついた最大限のことを活かせるように、丁寧に書き込んでいこうと思いました。

 

【今週見えた課題】

1 人のしぐさを表すボキャブラリーが少ない

自分が書いた文章を見返していると、同じような表現が何回も出てきているところがありました。自分の中で浮かび上がってきた単語を気に入ってしまって、脳が自然にその単語をまた選択している、そんな感じです。

 

日本語は、外国語に比べ、単語数が多い言語だと言います。

私は、大学で日本語文法を学んでいたので、この日本語の特徴を生かして、場面にあった、とっておきの単語をチョイスしたいという願望を強く持っています。

 

分量が少ない作文とかでしたら、感情表現も何種類も書き分ける必要はないのですが、小説ともなると、例えば、人が驚くシーンが何回も出てきたりするわけです。

勿論、どのシーンも、同じ境遇、同じ人物が、同じ感情を抱いているわけではないので、それらの違いを出すことが、面白い作品になる要なのだと思っています。

 

でも、頭ではわかってはいるのに、それがすごく難しい…。

『感情類語辞典』(フィルムアート社)や、『ことば選び実用辞典』(学研)を何度も引いて、単語を変えたりしてみるのですが、どれも似通ってしまう…。

 

そもそも、人がある感情を抱いたときにどんな反応をするのか。

自分の目でしっかり見ていないような気がするんですよね…。

 

人間観察の不十分さと、人間感情の未熟知…

そんな課題が見つかりました。

 

2 文の主語述語があっていないときがある

校正をしていると、主語と述語がねじれている文に多々出会いました。

とにかく先に急いで進みたくて、何となく書きたい言葉を連ねて書いている部分が多いからか、何となくの描写はできていても、よく読むと日本語としておかしい。

そんな文があちらこちらで散見されました。

 

書き方のバリエーションを増やすことは、もちろん作品に深みを作るために大切だと思うのですが、それより先に大事なのは、日本語として成り立っているか。

文法的に合っているのか。そこである気がしました。

 

主語と述語があってなくても、前後の文脈から想像して、なんとなくは分かるんです。でも、何だかよく分からないけれど、気持ち悪い。

そういう文は、大抵、主語と述語がずれていることに最近気がつきました。

 

なんか変だなと言う感覚って大事ですね。

なんかわかりにくい。なんかズレている。

そういう直感的なものを大事にしつつ、一文一文を丁寧に確認していくことが校正においては大切なのだということが分かりました。

 

【これからやること】

1 人間観察をして、いいと思ったしぐさを作中に取り入れる

小説を書いていると、周りの人達の言動が、不意に気になる時が増えてきました。

例えば、この前あったのが、ポケットに手を突っ込んで歩いている男性を見たときのこと。耳にはイアホンをつけて颯爽と歩いている…。

 

ただ、歩いているだけなんですけれども、全ての男の人が、ポケットに手を突っ込んだりはしないよな~とふと思い、他の男の人を見てみると、確かに少数派…。

 

同じしぐさをしている人を見つけると、なにやら共通点があるような気がして…。

 

歩くスピードや、歩き方。

座った時の姿勢や、足を組むかどうかの違い。

日常の些細な行動の中に、それぞれのその人らしさと、ある一定の共通点があるようなことに、今週改めて気がつきました。

 

普段生活していて、この人のここ、カッコいいなぁ…、この人のこのしぐさ、可愛いなぁ…。

そういうことを蓄積して、自分の中にストックしていると、作中に描く人物にさせたいことを、しぐさという些細なことから色々させてあげられるのが良いなと思いました。

 

これまでは、あまり意識して行ってこなかった人間観察ですが、これからは、気分転換に周りの人の様子をよく見ていこうと思いました。

怪しまれないように注意しながらですけどね。

 

2 どの視点からの文章なのか意識する

三人称の文章を書いていると、誰が主語なのか、分かりにくくなってくることがあります。

さっきまでは他の人物のことを書いていたのに、ある瞬間、急に主語の明示なく、違う人物の方向から書かれた文章が紛れ込んでいる。そんなことが良くありました。

 

未だに、どういう視点を持って、三人称の文章を書けばいいのか、よく分からないのですが、今度他の作品を読むときは、どういった「視点」で話を書いているのかを、注意していきたいと思いました。

 

【終わりに】

今週は、夢によって、更に現実世界が楽しくなるという経験をし、そんなほわほわした気分で現実世界を見ていると、まだ知らない現実世界の場面が多々あるということに気がつきました。

 

私たちの覚醒下で意識的に見ているものは、本当に氷山の一角なんだと思います。

だから、夢が知らせてくれることは何か意味があるものだと思うし、ふとした瞬間に目に入る光景も、何かが引き寄せてくれた、そんな感じすらしてきます。

 

夢の研究って、結構深いみたいで、色んな研究者が研究しているみたいですね。

執筆が終わったら、夢についてもう少し学んで、自分が知らない自分の世界を、もう少し覗いてみたいなと思いました。

あとは、自分が知らない、しぐさから分かるその人の心理状態とかそいう言う分野も…。

 

小説の執筆をしていると、ただ日常生活を送っているだけで、これは作品に生かせそうということがバンバン出てきます。人が気にも留めていないようなことを、気に留めていると、色んなことが分かって本当に面白いです。

 

何だか抽象的な話になってしまいましたが、まずは、夢分析と人間観察を自分の習慣にして、視野を広げていきたいと思いました。

 

今日もありがとうございました!