紫月のじぶん教室

自分で自分を開発していく自己啓発のブログです。作家になることを目標に体験記を書いています。

「終戦の日と夏と私」じぶん作家養成教室【恩人本探求編3】

こんにちは。紫月です。

今日は終戦の日ですね。

終戦の日の朝、式典の映像をテレビで見ると、日中どこかに出かけて遊んでいても、ふと、今日は終戦の日だと思い出し、戦争で亡くなった方々を悼む気持ちが沸きあがってきます。

 

そして、小学生の時に本の挿絵で見た、ラジオの前に家族が集まって、泣きながら玉音放送に耳を傾ける様子が、目に浮かびます。

 

もし、小学生の頃に、戦争の本を読んでいなかったら、こういう暗い沈んだ感情はそこまで溢れてこなかったのかもしれません。そう思うと、今日紹介する、怖すぎると思った本も、何か意味があったのではないかと思えてきます。

 

小学生の高学年当時、図書館に行くと、何人かが集まって、

「これ怖いよ…」

と、本を回し読みしていたのを今でも覚えています。もしかしたら、結構な小学生がそんなようにして、戦争の本を読んでいたのかもしれないですね。

 

手渡されたのは、金の星社から出されているガラスのうさぎという本。山吹色の背景に、防災頭巾を被って、もんぺをはいている少女の表紙。その表紙が今でも忘れられません。

友達に、「このページ、すごいよ」と言って渡されて読んでみると、もう数行しか読めませんでした。

 

空襲で、ガラスが体中に刺さり、痛ましい状況になっている描写。そんな惨状が延々と続いているような気がしました。文字で読むだけで、想像してみるだけで、怖くて気持ち悪くなって、どうしても読み続けることができませんでした。

 

その後、おっかなびっくり、手を取ってみるも、ぱらぱらとめっくったどのページも、悲惨な状況が描写されている気がして、結局、最後まで読めずに、今に至っています。

そんな印象が強いので、今読めと言われても、相当の覚悟と勇気を出さないと読めない気がしています。

 

アマゾンで本のレビューをちらっと読むと、評価も高く、子供が読書感想文で書いたと書いているものもあったので、子供も読める内容なのだと思います。そして、素晴らしい作品なのだと思います。

ですが、私は読めません。表紙も開けられません。一文字も読みたくないのです。

私はかなりビビりなようなので、そういった本が他に何冊かあるのですが、これはその最たるものな、気がします。

 

はだしのゲンも、怖くて読めない本の一冊です。

小学校の図書館にある漫画の本は、これくらいだったので、男の子はよく読んでいた印象があります。少女漫画の絵が好きだったので、絵があまり好みではないというのもあると思いますが、絵だと露骨に、戦争の悲惨な状況が描かれているのがダメでした。

 

宮崎駿火垂るの墓の映画の映像が載っている絵本も、ダメです。

たまたま友達の家に遊びに行って、他のジブリが好きだったので、まだ読んでいない『火垂るの墓』はどうなのかなと思って見てみたところ、怖い絵がありました。

 

主人公のお母さんだったのでしょうか。やけどをして、顔も目以外のところ全部包帯でグルグルになっている小さな絵が、恐ろしすぎました。

次のページをめくっても、脳裏に焼き付いてしまって、その絵の付近を触るのもダメでした。この本は、何とか最後まで読んで、ドロップスの缶に骨を入れて、最後には、兄弟二人とも死んでしまうのが、やるせなかったのを覚えています。

 

大人になって、『となりのトトロ』と、この『火垂るの墓』が同時上映されたことを知り、どんな気持ちで観客は見ていたのだろうと、色々と思いを巡らせました。

どっちが先に上映されたのか、その順番が気になりました。

火垂るの墓』が最後だと、後味が悪すぎるのではないか?でも、この悲しい気分を引きずってトトロを見られるのか?そんな気分で見たトトロは楽しめるのか?

アニメ映画の『火垂るの墓』はこれまた怖くて見ることができていないので、見たことがある人に、考えを聞いてみたいと思ったりしました。

 

今思い出しても、これらの作品は、自分の中に強いインパクトを与えています。それほど、小学生の私には衝撃的だったのだと思います。

自分が今でも引きずるトラウマ的な状態になってしまっているので、子供に勧めるのはおろか、子供と他の戦争の作品を見られるかも、分からない自分がいます。

 

私が見られる作品は、本当の戦争を見やすくしたものなのだと思います。真実に近い戦争を描いたものは、とても見ることができないものなのでしょう。

 

自分を追い込みすぎるのも辛いので、こんな惨状を直視できない自分も受け入れようと思っていますが、この状態がどういうことを意味しているのかは、考える必要があるのではないかと思っています。

 

私は、人の肉体が傷つく描写がとても苦手です。周りには、人がズタズタになる漫画や映画を、特に何も感じないで見ることができる人が沢山いましたが、私は話を聞くだけで拒絶してしまいました。

私は、人の肉体が、残酷な形で痛めつけられるのを、真っ直ぐ見ることができません。

それをひっくり返すと、私は、そのような残忍なことがない、平和な世界を希求しているのではないか、そんなことを考え出しました。

 

なぜ、目を瞑らずにはいられない惨劇を人は描くのでしょうか。

それは恐らく、そこから与える衝撃が、人の心を動かすからだと思います。

 

私は人一倍、そのマイナスの影響を受けているような気がします。それをただの負の影響で終わらせるのではなく、それが与えてくれるプラスのメッセージを、これからは考えるようにしていきたいと思いました。

 

今年の夏は、コロナと猛暑で、あまり外に出ていません。

いつもは吸うだけで暑い、夏の空気を肺に含みながら、戦争のにおいも吸い込んでいたように思います。熱射病気味で気持ち悪い状態に加えて、余計に気分を悪くして、吐き気を感じてしまうこともありました。

むっとした夏の熱気を吸い込まずに済んでいる、今年の今、この戦争に対する思いを少しでも、プラスのものに変え、もっと前向きに、爽やかな夏を過ごしていこうと思いました。

 

病は気から。自分のうっとおしいと思っている気持ちも、自分の思い込みが生んでいると、今年、気がつくことができました。

 

戦争は、平和を願い、命の大切さを教えてくれるものです。

二度と繰り返さないですむよう、過去の人々が与えてくれた教訓を、心の中に強く刻み、誰もが笑って暮らせる、明るい世界を作っていきたいと、強く思いました。